天国の首里城


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首里城の消失はとても大きなショックだった。

子供の頃は守礼門の隣の城西小学校に通っていた。龍潭池で爆竹を鳴らして、玉陵で缶けり。石畳を自転車で上り下りしていた。当時まだ首里城はなくてそこには琉球大学があった。そのグラウンドで野球をした。この一帯は僕らの遊び場だった。

大人になって東京に出てきてから帰省するたびに少しづつ首里城ができていった。そこはいつしか王国の中心になっていった。周りも首里城公園として整備され、もう爆竹を鳴らす様な雰囲気ではなくなった。なんとなく自分たちの遊び場を取られたような気分だったけど。やっぱり丘の上の赤い城は誇らしい気持ちになった。今の子はこれを見て育つんだなあと思った。できたての首里城は新品すぎてありがたみが湧かなかったけど、時間とともに自分の中の琉球というアイデンティティの大きな土台になっていった。

僕らはかつて琉球王国だった。船で東アジアの海を渡っていた。日本や中国の大国の狭間でバランスを取りながらも独自の文化を醸造した小さな王国だったんだ。

民族の物語や誇りは必要だ。日本なら時代劇はたくさんあるし、黒澤の7人の侍もあるし、昔話もたくさんある。世界で活躍する日本人もたくさんいる。日本民族の物語や誇りは十二分にある。

沖縄はまだそれが少ない。例えば、明治の沖縄は?江戸時代の沖縄の庶民の暮らしは?ニライカナイの風景は?まだまだ沖縄の物語は少ないんだ。そんな中で首里城の正殿が復活したことは大きな出来事だった。沖縄の物語の中心が出来上がったのだ。

その城が消失した。現実とは思えない光景がテレビに映し出されていた。強く激しい喪失感に襲われた。親を失ったかの様だった。できるなら死んだ正殿のそばに行きたかった。炎で巻き上げられた炭になった首里城の破片が散らばっていた。それを拾いに行きたかった。

あの炎の映像が目に焼き付いている。少ない被害であってほしい。しかし最悪の事態になった。首里城の屋根の龍達が焼かれて苦しんでいるイメージが自分を苦しめた。

正殿前の龍柱は立ったまま残っていた。あの炎でよく壊れなかったものだ。
もともと予定されていた首里城祭はほとんど中止になったけど
崎山町、大中町、久場川町が悲しみの首里で旗頭をあげてくれた。
とても嬉しかった。誇らしい気持ちになった。
できれば王朝行列もやってほしかった。こんな時こそ。
城は無くなっても琉球はあるんだよっていう強いメッセージなるのだけど。
そこまでは流石に無理か。

やっと絵のイメージが湧いてきた。天国の首里城だ。滝の上の首里城。
滝を描きたかった。多分、水を描きたかった。炎を消すための水。悲しみを海に運ぶための水。
炎を消化するスプリンクラー。
屋根の龍達が遊んでいる。
国王の役は翁長知事にやってもらおう。
正殿に舞踊も必要だ。四つ竹の踊りにした。
尚育王の直筆の書も焼けたと知った。
それも翁長さんに持ってもらった。
ジュゴンB子とリナさんの魂を運ぶアヤハベルはもちろんいる。
沖縄でなくなったもの達が天国にいる姿だ。
涙の海には進貢船が浮かんでいる。日の丸に見える旗は日輪というそうだ。

うるま市の殺害事件があってからこういう追悼の絵ばかりを描いている。
悲しいときは絵を描く。それを見てもらうことで、共感してもらうことで、苦しい気持ちが薄まる。
箱庭療法の様なものだ。自分で絵の世界をコントロールして組み上げていく中で心のバランスを取っていく
祭壇、仏壇、お葬式と同じだ。

絵を描きながら、SNS用の横型、次にコンビニでプリントするためのA3横型。インスタグラム用の真四角、スマホ用の縦型。バナー用の横型、いろんなサイズを作っていった。こんなことが滞りなくパパっとできる様になってしまっていた。沖縄が悲しいことばかりだから、こういうことが得意になっていた

辺野古や高江、うるま市、悲しいことがたくさんある。それがまさか地元の首里で起きようとは。完全に当事者側になってしまった。沖縄人のアイデンティティが音を立てて崩れていった様な酷い出来事だった。
幸いなことは死者がいなかったこと、本当に多くの方が協力やチャリティを表明してくれていることだ。ありがたいことだ。
ゆっくりと首里城は再建していけるだろう。
正殿が蘇る日までこの絵を飾っておこう。